2017/04/10

玉の井のこと


東向島駅の駅名を示す案内板の下には、小さな文字で「旧玉の井駅」と記されている。永井荷風の「濹東綺譚」で一躍有名になった私娼窟が「玉の井」と呼ばれたことは知ってはいた。ただ、地元に住んでいながら、その場所が具体的にはどこなのか、まったく知らずに過ごしてきた。この間、偶然にも「玉の井」について書かれた書籍を目にする機会があって、その書籍を起点に何冊かの本を読み、ようやく「玉の井」の成り立ちが、おぼろげながら理解できるようになってきた。

玉の井の成り立ちには、歴史上の二つの大きな出来事が関わっている。ひとつは関東大震災、もうひとつは東京大空襲である。江戸の頃にはのどかな農村地帯であった寺島村に、大震災をきっかけに、浅草の銘酒屋が大量に押し寄せてきた。この時この地に生まれた色街が「旧玉の井」。荷風の「濹東綺譚」はこちらを舞台にして書かれている。その旧玉の井の街並みは、大空襲ですっかり焼けてしまった。焼け出された銘酒屋の多くは、旧玉の井の北にある「新玉の井」と、少し離れたところにある「鳩の街」に移って営業を再開し、売春防止法が施行されるまでの10年間ほどの間、「赤線」としてその名を馳せた。読んだ書籍の中には当時の地図があって、新旧玉の井とも、その場所がはっきりと示されていた。空襲で焼けた旧玉の井についても、細かな路地など判然としないところもあるが、大きな道路は今も同じところを通っていて、現在の地図を重ねることができる。いずれの場所も、すでに何度も足を運んだことのある場所であった。

土地にはその場特有の「空気」というものがある。歴史のある神社仏閣の立つ場所は、その周囲とはやや違った「空気」を持っているし、パワースポットと呼ばれる場所は、やはりそれなりのオーラを身にまとっている。そうした空気感は、その土地の歴史にも関係があるのだろうと考えて、気になる街は、ヒマを見つけては歩き、その地名や歴史などにも興味をもって、あれこれと調べてきた。今では普通の住宅地となってしまった「旧玉の井」は、果たしてどうであろうか、そうした「空気」は残っているのだろうかと、過去に想いを巡らせながら街中をぶらぶらと歩いていると、時々、ハッとする光景に出会うことがある。

そんな時には、さっとファインダーをのぞいてシャッターを切る。ハッと思ったその時の「感じ」が写っていることもあれば、残念ながら、何にも写っていないこともある。街を歩きながら撮る写真の愉しみとは、その街の時間の積み重ね、歴史を、現在の風景に重ねて見ることなのだろう。そういう意味では、ただシャッターを切れば、写真が撮れるというものではない。ネイチャーやポートレイトが、被写体への理解やコミュニケーションによって深みを増すように、その街についての理解を深めてゆくプロセスそのもの、つまり対象をより深く見つめることが、街歩き写真の愉しみへと繋がっている。

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